小児科 すこやかアレルギークリニック

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壮絶な日々
2008年01月20日 更新

昨日の外来は結構混んでいて、すべてが終わったのが14時近く。それから当院恒例の月に一度のアレルギー勉強会でした。

あがり症の私は、聴衆の多少にかかわらず緊張してしまいます。でも昨日は気が楽でした。それは“院外”講師をお願いしたからです。以前も告知してあったと思いますが、昨日の勉強会の「講師」は私が柏崎の時代から診ている“超”のつく重症アトピー性皮膚炎と重症食物アレルギーのお子さんを持つお母さんでした。開始前のご本人は緊張している面持ちで、まさに私は「恐縮ですっ」って感じでした。

発表は小学校の時以来というお母さんは、主婦業でお忙しい中、発表原稿まで用意して下さいました。内容は想像以上に「切実」というか「壮絶」なものでした。

生後2週間頃から皮疹があり、徐々に悪化していったそうです。3~6か月はお母さん曰く「最悪」だったそうで、お子さんは1日中身体を掻いていて、いつも泣いてばかり。ネットで情報を探したりしながら、お母さんなりに努力をするものの全く改善の糸口すら見つけられず、母子ともに寝不足でイライラしていたそうです。子供がかゆがって泣き叫ぶため、外出は1時間が限度。しかも多種の食物アレルギーのために外食は不可能。しかも高いアレルギー食品を使わなければならず、生活は破綻ギリギリで、ゴールの見えない長いトンネルに「死にたい」という思いが何度も脳裏をよぎったそうです。

7か月の時に母の体調不良を機に子供を父の実家に預けたところ、一気に皮膚症状が悪化し、入院となりました。その頃から私との付き合いが始まりました。アレルギー検査を離乳食の参考にしようとするもすべて4~6という値だったので、「食べられるもの」をお母さんと試行錯誤しながら選定していきました。退院後も私の外来に通院して下さり、自分の知っていることの全てを出し切り、対応させて頂いたつもりでした。

1歳頃になり、お母さんに転機が訪れます。私の外来の待ち合いの時に、同じ重症アトピーと食物アレルギーの子のお母さんと出会ったのです。それ以来「もう一人じゃない」とストレスも減り、より頑張れるようになったそうです。

その話を聞いていて、自分の存在は一体何だったんだと考えさせられました。確かに自分が関わり始めて、体重も増え、ゆっくりですが皮膚症状も落ち着いてきました。食事も何がダメで、何が食べられるということも分かってきました。私も福岡で超重症アトピーや食物アレルギーの赤ちゃんの対応を学んできましたので、「これくらい重症な患者は自分しか対応できないだろう」という思いで、頑張ったつもりです。それでも、やはり「同じ」目線にはなってあげられなかったんだなとハッとさせられました。

考えてみれば、お母さんは子供さんと24時間一緒にいる訳で、しかも慢性の重症な病気を持っていると、病院で聞けないような悩みも沢山あるんだろうと思います。母同士の情報交換は全くの同じ立場であるため、他の人には想像もつかない“共感”できる部分が多いのだろうと思います。でも今後はこういうことも踏まえて、「小児科医」として患者さんのお母さんの気持ちを察しながら関わっていかなければならないと考えています。

昨日、講演を聴いていてもう一つ思ったのは、この話を同業者の先生方にも聞いて欲しかったということです。医療を提供する側として、私と同じく考えさせられる部分がとても多いと思ったからです。「ドクターショッピング」という言葉がありますが、このお母さんもいろいろな小児科やアレルギー科を転々としたそうです。こういった超重症の患者さんは非常に少なく、少ないからこそ「声」も小さい。でもそういう患者さんが生活破綻の一歩手前で頑張っているという事実に、我々小児科医がちゃんとした知識や技術、そして誠意を持って対応しなければならない、そう思いました。

昨日の話は一回だけではもったいないので、お母さんには当院の勉強会の準レギュラーとなって頂き、またお話しして頂こうと思っています(笑)。さらに重症ぜんそくのお子さんを持つお母さんにも話してもらいたいとも思いました。こうやって、上越を中心に「アレルギーの子を持つ親の会」のような患者の会ができて、アレルギーで困っているお母さん方の情報交換の場ができればいいなと思っています。