5月23日に長岡市で食物アレルギーの講演があります。
長岡市内の子育て施設数カ所にポスターも貼ってあるそうですし、ラジオでも告知の放送が流されるそうです。実際にどれくらいの参加者があるのかなと思っています。
日本の医療制度は、ある意味で“平等”です。実家にいる時や、旅先でも気軽に医療を受けることができます。金持ちしか良い医療を受けられない国もあるでしょうから、日本はその点恵まれていると言えるでしょう。ただし、医療の“深さ”が考慮に入れられていないと思います。
つまり、研修医が診るのと、その分野の権威が診る場合の差が認められていません。研修医が診断がすぐにつけられなくて何度も検査を繰り返して診断に至るのと、ベテランが初診時に診断を見極めて、必要最低限の検査をして診断しても、かかる医療費は変わってきてしまいます。医師が同じレベルであることが前提になっているのです。
食物アレルギーの医療で一般的に行われていることと言ったら、アレルギー検査をみて、アレルゲンと思われる食品を除去することでしょう。しかし、専門医の場合はアレルギー検査を参考程度にとどめており、「食物負荷試験」で食べられる食べられないの判断をしています。
当院では正しい医療を広めたいがために、口が酸っぱくなるくらい「食物負荷試験で白黒つけましょう」と繰り返し説明しています。もちろん「食物負荷試験」をやる知識や技術が持っているつもりですからそういう話になるのですが、普通の小児科で「食物負荷試験」という検査の存在を説明する医師はとても少ないように感じています。「食物負荷試験」の存在が消されてしまっているのです。
先程、医師のレベルが同程度であることが前提と書きましたが、同じ食物アレルギーでも「アレルギー検査が陰性にならないと食べてはいけない」と指示されている患者さんと、陽性でも食べられる可能性は十分あるため、「食物負荷試験」をしてもらい食べられるものを増やしている患者さんでは大きな差が生じてきます。
「食物負荷試験」のことを説明された上で、患者さんの方で「上越までは遠いから受診できない」と判断されているならそれは仕方ないのですが、検査の存在すら知らされていないのは、どう考えても“平等”とは思えないのです。
これまでは新潟県で「食物負荷試験」をやっている小児科がほぼないと言っていい状態だったため、ある意味“平等”だった訳です。しかし、当院や一部の病院で「食物負荷試験」が行われてきており、日本小児アレルギー学会が「食物負荷試験」を普及させようと「食物アレルギー経口負荷試験ガイドライン2009」という負荷試験のマニュアルまで作成しているのです。そんな状況にもかかわらず、アレルギー検査だけで判断されているのは不平等以外の何物でもないと思っています。
外科系の医師にも上手い、下手がきっとあることでしょう。当然、多くの症例をこなしている医師とたまにしか対応していない医師では技術や経験の差がないはずがありません。腹腔鏡での手術経験がないのに、手術を強行して患者さんを死亡させてしまった事件がありました。私だって手術してもらうとしたら、経験豊富な医師に託すことと思います。
小児科以外の分野はよく分かりませんが、患者さんが思っている以上に医師の間には知識や技術の差があるのだと思います。私もアレルギーなら何でも診れるなんて思っていませんが、ぜんそくを“風邪”、アトピーを“乳児湿疹”と診断されて、過小診断•過少治療のために良くなっていない患者さんを診るたびにガッカリし、「もっと早く受診しれくれば」と思ってしまいます。
県内には「食物負荷試験」を受ければ、卵や乳製品、小麦、甲殻類、魚類、ナッツ類など除去や制限を解除できる患者さんは大勢いることと思います。「患者さんを少しでも危険な目に遭わせない」という意味ではオーバーに除去や制限しておけば何も起きません。しかし、物心がつき親御さんから「卵は食べてはいけない」と言われ続けていると、実際は食べられるのに精神的に食べられなくなってしまいます。何よりも「あれもダメ、これもダメ」では成長や発達に悪影響を及ぼしかねません。
当院は「食物負荷試験」は県内では最も多くやっていると思いますが、と同時にアナフィラキシーを何度も起こさせているかといえば、今のところはまず起きていません。知識や技術があれば、決して危険な検査でも何でもないのです。
食物アレルギーの患者さんが“平等”な医療を受けるためには、まずは小児科医が「食物負荷試験」という検査があるということを患者さんに伝えることだと思います。中には本当に知らない医師もいるかもしれません。しかし、県内では数施設で行われるようになってきており、小児科医では知らない医師は少ないはずです。自分のやらない検査は言いにくいのかもしれませんが、少なくとも食物アレルギーの患者さんにとって「食物負荷試験」の存在が知れ渡ることが“平等”の始まりだと思っています。


