この連休は、素晴らしい天候でした。
秋の行楽日和だったはずですが、私は2日とも家で月末に迫った学会の準備をしていました(涙)。とても不健康な連休でしたが、お陰でだいぶはかどりました。
10日前に「すこやか健康フェア」を終えたばかりですが、この健康フェアも、今日のタイトルの通り、啓発活動の一部です。
食物アレルギーは、子どもに多い病気です。子どもは成長、発達をしていかなければなりません。「食べて症状の出るものだけ除去する」のがベストです。いつも言っているように、これを判断するには「アレルギー検査」は使えません。何故なら、検査が高くても食べられる、低くても症状が誘発されてしまうことがあり、この検査に頼っては、食べて構わないものまで除去してしまうことになってしまいます。
多くの医師が、食べられる・食べられないの判断をアレルギー検査のみで行なっているため、患者さんにもそういう説明がなされることが多く、親御さんや園•学校関係者の方々もアレルギー検査の結果を信用し切っているのが現状でしょう。
私の開院当初の目標は、食物アレルギーで困っている方全員にそうではないことを知って頂き、それを判断する方法が「食物負荷試験」であることを理解して頂くことでした。
ちょっと話はそれますが、小児アレルギー学会の準備をしていて、相変わらず新潟県から発表する小児科医が少ないことに気付きます。学会誌をめくっていたら、ある名前に目が止まりました。彼は私の後輩に当たりますが、現在県外のアレルギー専門病院で研修しています。経口減感作療法についての発表の共同演者になっていました。
彼が新潟県内に戻ってきたら、食物アレルギーに理解があり、経口減感作療法を行なえる施設ができることになります。新潟県のレベルも、徐々に上がっていくことでしょう。となると、私の役割も少しは軽減するはずです。シャカリキになって「啓発」、「啓発」と言っているのが、少しでも肩の荷が下りれば、楽になるかもしれません。
ただ、よく考えてみると、思ったほどは変わらない気がします。当初、上越の地で食物アレルギーの正しい知識を広めたいと思っていましたが、ぜんそくが“風邪”や“気管支炎”、“マイコプラズマ”などと正しく診断されておらず、アトピー性皮膚炎も“乳児湿疹”や“乾燥肌”などと誤って診断されています。診断が間違えば、治療も正しくなくなります。
食物アレルギーの患者さんを過剰な除去や制限から救いたいと思っていましたが、ぜんそくやアトピー性皮膚炎も適切に治療されていないことが少なくないことが判明し、これに関しても正しい診断や治療を広める必要があることに気付かされました。
ぜんそくやアトピー性皮膚炎についても啓発の必要が出てきた訳ですが、更に別のことにも気付かされます。感染症についても、「これはおかしいぞ」という対応も結構見かけるからです。つまり、ウィルス感染なのに抗生剤が処方されていたり、点滴されたりしているのです。
確かに、判断が難しいケースもありますが、明らかに抗生剤が必要ないケースでも使われていたりします。「ウィルス感染には抗生剤が効きません」というと、未だに多くの親御さんが怪訝そうな顔で「えっ、そうなんですか?」とおっしゃいます。
先日のすこやか健康フェアで、当院は休診だった訳ですが、かかりつけの患者さんが某医院さんを受診したそうです。「あそこはプライバシーがない」と嘆いていらっしゃいましたが、どういうことかと言うと、診察室で診察中に、すぐ後に次の患者さんが服を上げて待っているのだそうです。
私もビックリしました。こんなことが、この日本で、しかも近くで行なわれているとは信じられません。「患者さんが多い」とか「忙しいから仕方ない」なんて言い訳も通用しないレベルの話です。プライバシーも守れないような、こういうおかしな行為は、どこに言えば受け付けてもらえるのでしょうか?。保健所?、市役所?、医療関係者の私でさえも、よく分かりません。これも、そこのかかりつけの患者さんは、仕方のないことだと思っているのかもしれません。
これからインフルエンザの予防接種のシーズンになります。病気のお子さんの他に、予防接種を打つ“健康なお子さん”も受診しますので、医院はごった返します。短時間に大勢接種を済ませようと、診察もせず(のども診ない)に、カルテで最近の状況も確認せずに接種する医院さんもあるようです。これも、有り得ない話です。医師のマンパワー以上の予約を取ること自体、おかしなことです。プライバシーのない話といい、診察も予防接種も大勢すれば、経営に有利ということと無関係ではないはずです。これも地元から無くさなければいけないことのひとつと考えています。
医師にとって都合が良くても、患者さんにとっては明らかに不適切であることを知らせることも、“啓発”と言えます。最初は食物アレルギーに力を入れればいいと思っていましたが、後輩の医師が新潟県に帰ってこようが、私の仕事はいつまで経っても終わらないのだろうと思っています。


