先日、じーんとすることがありました。
別に“深イイ”話でもないのですが、健診に来られたお母さんに診察した上で異常なしと判断したので、その旨を話し、「何か気になることはありませんか?」と尋ねました。
「特にありません」と言ったあとに「何かあったらまた来ます」とおっしゃいました。話は以上です(汗)。
「それだけ!?」、「どこがじーん?」と思った方が多いと思います。私には十分でした。
医療というのは、信頼関係が一番だと思っています。よく「絆」という言葉が使われますが、私はあまり好きではありません。いえ、素敵な言葉ですよ。しかし、あまりに多用されると偽善の香りもあり、「そんなに易々と使う言葉じゃないのにな」と思ったりします。
今回のお母さんの言葉にちょっと「絆」的なものを感じたのかもしれません。
「かかりつけ」という言葉があります。体調を崩したら、かかりつけ医を受診して治療してもらうというものです。何度もかかっていれば、その子の体質も含めて分かっており、いつ受診しても一から説明し直す必要がないのです。
「うちの子のことをよく分かってくれている」という安心感もありますし、気心が知れているので足を運びやすい訳です。信頼関係があって初めて「かかりつけ医」として認められると思っています。
私は冒頭の話から「信頼されているんだな」と感じ、思わずじーんときてしまったのです。
「かかりつけ」の関係の中で、医師は患者さんの期待に応えるために、全力を尽くすべきです。
私がアレルギーを専門にしていることもあり、期待を裏切るようなケースを沢山見てきました。ぜんそくなのに“風邪”、アトピー性皮膚炎なのに“乳児湿疹”とかなりのケースで誤診されているのです。
診断できない医師は病気に詳しくないから診断できないのであって、治療もままならないことになります。当然のごとく、おかしな治療が施されることになるのですが、患者さんは医師を“信じている”ため、必死に通うことになります。
いつまで経っても症状は改善せず、かと言って医師は内心困りつつも、同じ薬を繰り返し処方することになります。そのような状況でも、専門医に紹介しようとは思わないようです。この時点で、「医療」は患者さんからの一方的なものだけになっていて、信頼関係の上に成り立っていないと思います。
何か月もそういったことが繰り返され、「もしや…」と医師の腕を疑い、当院に駆け込まれるのです。誤診と分かり、患者さんは愕然とします。「信頼していたのに」、「もっと早くここに来ればよかった」、そういう言葉もよく耳にします。
これでは「かかりつけ」は失格だと思います。それ以来、ちょっとしたことがあると、多少遠くても当院にまっすぐ来て下さる方もいらっしゃいます。市外からそうやって受診される方もいて、頭が下がりますし、「下手なことはできない」とも思います。逆にそれが信頼関係に不可欠なのだろうと思っています。
「かかりつけ」は子どもの健康を守り、成長を見守る役目があります。私はアレルギーの専門的な医療をやっていますが、その前に小児科医でもあります。アレルギーも含めて、信頼関係の上で、子どもの成長を見守りたいと思っています。
今回のじーんをきっかけに、「かかりつけ」について考えてみて頂きたいと思っています。


