数回に渡って、当院が18年前に開業してから、食物アレルギーにこだわった診療をしてきたことをお話ししてきました。
開院当初から食物負荷試験を行い、食べさせる努力をしてきました。もちろん、食物負荷試験の目的はキチンと診断するという重要な役割を担っています。18年前から不必要な除去をしなくていいように配慮してきました。
今では「除去」と言っていた小児科医が「少しずつ食べさせなさい」と言っていますが、私は昔も今もまったくブレていない診療を行ってきました。
新潟県下ではこんな医師はいなかったため、県内各地から食物アレルギーで困っている患者さんが押し寄せました。
困っているのは、患者さんとその家族だけではありません。食物アレルギーのお子さんを扱う園や学校関係者もでしょう。新潟県内に食物アレルギーの専門家が私以外にほぼいなかったため、研修会の希望が殺到します。
当院は水曜午後が休診なので、そこを活用して北は胎内市や新発田市、南は湯沢町、西は糸魚川市まで講演に出掛けていました。最多で水曜日は1年間に49回ほどあると思いますが、盆と正月時の3日を除いた水曜日は全て講演嵐閧ナ埋まっていました。
そんな状況だったのですが、当時から上越市から呼ばれることはほとんどありませんでした。毎週水曜日になると、上越市外に頻繁に講演に出向いてことになります。
今なら教育委員会の幹部が「田中なんか嫌いだ。あいつにだけは頼るな」なのでしょうが、それ以前は接点すらなく、上越市のマニュアル作りに意見を求められることもなかったので、上越市の教育現場が食物アレルギーの正しい知識を得る機会がほとんどなかったし、教育委員会が啓発のために動いてこなかったことは事実だろうと思っています。
このことが、重大事故を繰り返す根元にあると私は考えています。