数日前に「仲裁」という言葉を使いました。
意味を調べてみると「対立し争っているものの間に入ってとりなし、仲直りさせること」とあります。「仲裁」という言葉は適切ではないと思っています。
2023年の命が危険にさらされた誤食事故では、教育委員会の隠ぺい姿勢をもろに体感し、戸惑いました。保護者が不利にならないように、主治医として主張していきました。
そして昨年の誤食事故。さらにパワーアップしたかのような誠意のない教育委員会側の対応に、驚きました。しかし、一度経験していたので、教育委員会にはまともな対応をするよう働きかけてきたつもりです。
やり取りの中で、教育委員会側に搬送された病院の情報が洩れている疑いが強まり、医師の関与が明らかとなりました。みずから名乗り出たようなものですが、通常なら医師がそんなことをするはずがないので、いまだに戸惑いもあります。
私からすれば、同業者に背中から鉄砲で撃たれた気持ちです。ですから、「対立して争っている」という言葉は当たらないと思います。勝手に憎まれ、攻撃されている感じです。
今回の誤食事故は新潟県内のみならず、食物アレルギーにかかわる患者会やドクターなど多くの方々が関心をもって注目してくださっています。こんなことで悪名が高まれば、医師としての仕事がやりづらくなると心配にならないのでしょうか?。
困ったものです。