新年度を迎え、私が医者になってはや20年目になります。
県内の関連病院をいくつか周り、一般小児科、新生児、腎臓、神経、内分泌、循環器など様々な病気に触れてきて、その中でアレルギーを専門にしたいと思い、福岡にあるアレルギー専門病院で研修させて頂いたのがちょうと10年前のことです。
住み慣れた新潟を離れ、行ったことのない福岡に1200キロの道のりを車で走り続け、辿り着きました。研修先で「アレルギー学」にどっぷりつかる生活に入るのですが、緊張しっぱなしだった4月初旬を昨日のことのように思い出します。
たかが10年、されど10年。自分がどれだけ成長したのだろうと思います。大工さんなり、シェフなり「一人前になるのに○年かかる」と言われていますが、アレルギー専門医の場合はどうなんだろうと思います。
日本の第一人者のいるアレルギー専門施設は、日本の最先端を走り続けています。そこで毎年、私のようなアレルギーを志した小児科医が研修に訪れます。そして研修を終え、地元に戻りアレルギーの専門医療の伝道師になるのだと思います。
2月に行われた食物アレルギー研究会で、私の後に福岡の病院で研修した先生と話をする機会がありました。今は関東の病院に戻られています。それまで「食物負荷試験」を全くやっていない病院だったのですが、その先生が戻ってからは年間50~60人の「食物負荷試験」をやっていると言っていました。
何もないところに、新しいシステムを構築することってすごくエネルギーがいることだと思います。いわゆるゼロからのスタート、ということになります。福岡の病院で学んだシステムを真似るにしても、キチンと理解していないとできないし、スタッフの教育も必要です。スタッフも医療関係者として医療の心得はあるはずですが、「食物負荷試験」に関しては右も左も分からないはずです。ですから、スタート当初はトラブル続出だったかもしれません。しかし、徐々にこなれてきて、少しずつその街に「食物負荷試験」が根付いていくのだと思います。
私の場合も同じことが言えます。新潟に戻って9年。その間、「食物負荷試験」を含めた食物アレルギーの啓発に力を入れてきました。どれだけ定着させることができだのだろうと思っても、ほとんどできていない気がします。
ぜんそくやアトピー性皮膚炎についても学んできましたので、これらにも力を入れていますが、ぜんそくとすら診断されておらず、仮に診断されていても治療不足のことも少なくありません。アトピーはもっと悲惨で、診断が正しくないほかに、軟膏の使い方もやるべきではない方法を指導している医師もいます。「友人に勧められて来ました」とおっしゃる患者さんもいますが、開院して2年半経っても当院の存在すら初めて知る患者さんもおります。
いまでこそ、園や学校で食物アレルギーの指導が園や学校の先生がみても納得できない指導がされていると、当院の受診を勧めて下さいますが、やはり一部であって、未だにアレルギー検査だけで食べられる食べられないの判断をされているケースが多々あります。「食物負荷試験」の話をしても「初めて聞いた」とおっしゃる方ばかりです。
各医療機関から紹介があれば、それが一番はやく広まる方法だと思うのですが、各医療機関さんの事情があるのでしょう。紹介すらない状態が続いています。医療関係者が「食物負荷試験」という検査があるんだよ、と言ってくれるだけで相当違うはずなのです。患者さんが知るべきことを知らされないのなら、「情報操作」みたいになってしまいます。医療は開かれたものであるべきなのに、なぜか閉塞感みたいなものを感じてしまいます。
私の専門的アレルギー人生は10年になりましたが、上越でのアレルギー診療はまだ始まったばかりです。今年は地元の園の先生や学校の養護の先生にもアレルギーについて講演を依頼されています。医師にもただ漫然と除去するだけでなく、「食物負荷試験」で栄養的にも大事な小児期を“最小限の除去”で乗り切る大切さを伝えていかなければならないのかと思います。熱意を持ってやっていれば理解してくれる人は理解してくれる、そう信じながら地道にやっていこうと思っています。


