福岡から帰りました。
恩師の退官記念祝賀会があり、教え子の一人として是非駆けつけなければと思い、4日を休診にしてしまいました。当院を受診される予定だった方々にはご迷惑をお掛けしました。
個人的には、温かくも厳しかった恩師の先生が現役を離れるというのは、非常に淋しいという思いが強いのです。しかし、年齢という縛りがある以上、無事に任務を完了されたということはおめでたいことなのでしょう。教え子たちの先生方は口を揃えて「退官おめでとうございます」と言っていました。ただ、実際のところは日本のアレルギーには不可欠な人間なので、当分お忙しい日々が続くようです。
私も日本の第一人者の先生から直接ご指導を受け、学問の厳しさを教わった気がします。「医学」は患者さんの病気を扱います。当然、中途半端な対応は許されません。
ここでもよく書いていることですが、“診断をつけ、その病気の重症度を見極め、その重症度に合った治療法を選択する”、これは病気を診る上で基本中の基本だと思います。というか、そうするのが医師の務めですよね?。福岡に勉強に行くまでは、自分自身が随分いい加減なことをしていたのかなと反省させられます。私は福岡でアレルギーの見方の他に、医学の取り組み方までも指導を受けたと思っています。
ぜんそくなのに“風邪”、アトピー性皮膚炎なのに“乳児湿疹”と診断されているケースが多いとよく書いていますが、やはり医師はいろんな面で努力をしなければならないと思っています。
恩師の先生は、長年病院長として頑張ってこられましたが、院長秘書さんも祝賀会に参加されていました。秘書さんの感謝の言葉の中で、恩師の厳しさを表すエピソードが披露されました。「“分かりません、できません”は言ってはならないそうです。あらゆることを試した上でダメだった時しか、言ってはいけなかった」ということです。部下の医師だけではなく、秘書さんにとっても相当に厳しい上司だったのでしょう。
福岡で子どものアレルギーの専門的トレーニングはある程度受けてきたと思っています。しかし、限られた研修期間の中で全てを経験することなんて不可能です。新潟に戻ってきてからも、時々分からないことにぶち当たったりしています。そんな時は、そのままにせず恩師にメールを送ったり、手紙を書いて送ったりして相談していました。ものすごくお忙しい先生にも関わらず、すぐに電話がかかってきて、ご指導頂くことも1度や2度ではありませんでした。
恩師は患者さんには誠実で、思いやりがあり、正義感を持って接しておりました。私もそうありたいと常々思っています。信頼して受診して下さる患者さんには“分かりません、できません”とは言わないようにしています。しかし、それなりに勉強しているつもりでもまだ分からないことに遭遇することもあり、その時は自分に知識を総動員して推察しています。それでも分からなければ、「分からないので、日本の第一人者の先生に相談しておきます」と言って、何とか解決するようにしています。それが自分の経験や実力という血となり肉となっているのだろうと感じています。
アレルギー専門医の資格を持っていてもこういう状況なので、他の先生はどうしているんだろうと思ったりもします。“分からないことを分からないままにしておくこと”は患者さんや当然医師にとっても不幸なことです。私はそうはしたくないと思っています。
恩師の元で勉強させて頂いたことで、福岡の病院の先生方の他に、他の病院の先生方とも知り合いになれ、学会や会合などで会う度にいろんなことを吸収させて頂いています。それが私のかけがえのない財産なんだろうと、今回の祝賀会でしみじみと感じてきました。恩師との出会いに感謝し切れないほど感謝しています。


